鳥籠が壊れた雛鳥の行く末(前編)

※読者の皆様へ

2月10日はレーヌの誕生日でした!本当におめでとう!(そして遅くなってごめんなさい!)

というわけで、お祝い企画「アナザーエピソード:レーヌの過去編脚本」の公開です!前・後編に分けてお届けします。

レーヌは何故海に出たのか。何故過去の記憶を失ったのか。どのようにおもちと出会ったのか。そしてこの脚本が本編の冒険とどのように関係するのか…!ワクワクしながら読んでもらえれば幸いです。素敵なイラストは我が船の踊り子シシィが、稚拙な文章はキャプテンのチョウコが担当します。どうぞ最後までお楽しみください。

           Farfallaの一味船長:チョウコ




「ビンクスの酒を とーどけにゆくよっ」

「あ、おばあちゃん、またその曲を歌っていらっしゃるのね。」

「うふふ、ついつい口遊んじゃうのよねぇ。大切な思い出はこの歌と共にあるんだもの。」

「いいなぁ…ねぇおばあちゃん!またお外の話を聞かせて頂戴!今日はどんな国のお話をしてくれるの?」

「そうだねぇ、太陽と月の両方が常にお空にある国の話はもうしたかしらね?」

「えー!どういうことなのおばあちゃん!そんなことありえるはずないわ!天文学のお勉強は得意なのよ私!」


 窓辺で安楽椅子に揺られながら、鼻歌混じりにマフラーを編む老婆と、その老婆と同じ碧眼をキラキラと輝かせて話しかける品のいい少女。なんとも絵になる和やかで美しい家族の触れ合いだ。ただしそれは、ここが北の海で民が最も圧政に苦しめられる街と悪名高い「ミズラスカ」を治める君主であり、海軍G-103支部の司令官でもあるウィリアム・ルシウスの邸宅だという事実をことを除けばの話だが。

 北の海でも特に寒さの厳しいエルツランド島の最北端に位置するミズラスカは、「純白の監獄」と称される。島全体が石灰岩でできているため、雪の降らない夏でさえ、視界は見渡す限りの白である。その光景はまさにこの世の天国とも言わんばかりの美しさだが、現実はそう甘美なものではない。白い大地は、美しい景色を与えてはくれたが、作物をもたらさなかった。あまりに組成の偏った大地は、作物が育つことを許さず、民は飢えに苦しみ、その度に争いを繰り返した。飢餓と内戦によって多くの民が命を落とす中、200年前、争いを治め民を宥める名君が現れた。当時のウィリアム家の当主、ウィリアム・ロナウドである。

 彼は、一農民の子であったが、類稀なる勉学の才と正義感と優しさを併せ持ち、民の人望を集めた。作物が育たなければ、産業を育成し職を確保し外貨獲得の道を見出そうと、彼は移転先で揉めていた海軍G-103支部を誘致し男たちを海軍で働かせ、女たちには島の真っ白な石灰岩を加工する技術を与え、工芸品の輸出に努めた。海軍G-103支部の移転先が決まらなかったのは、この支部が北の海で最も凶悪な犯罪者を収監した監獄を持つためであり、万一の事態を想定してどこの街も移転を拒否していたからだった。しかしミズラスカの地形は非常に地の利に富んでいた。街の南には、エルツランド島を南北に分断する険しい山脈があり、街の西・北・南は港にもできない断崖絶壁で、海に降りる道は街の一番北にある、ウィリアム家の領地の階段一つしかない。この地形のため美しい景色でありながら観光客の誘致もままならなかったが、軍の支部を置くには非常に適していたのである。そのためこの「純白の監獄」という通り名が広まることになったのだ。

 軍の誘致が成功し、石灰岩の美しい加工品の輸出が軌道に乗ったころ、ウィリアム・ロナウドは街の皆の頼みを受け入れる形で、この街を治める地位についた。彼はもう二度と飢餓と貧困によって内戦が起こらないよう、税制を作り街の福祉の発展と飢餓への備えに充てた。人々はますますロナウドを褒め称え、彼を名君と崇めるようになった。けれども、人の命は永遠ではない。ロナウドは急な病に倒れ、57歳の若さでこの世を去った。名君の急逝に、民は嘆き悲しみ、そして途方に暮れた。何故ならこの街には選挙制度がなかった。彼なき後など、考えてもいなかったのである。次は誰が街を治めるかと皆が意見をぶつけ合う中、誰かが言った。「ロナウドの子供ならきっとうまくやってくれる!」と。根拠も確証もありはしないのに、皆は口々に名案だと誉めそやした。しかし、人格者の子供が人格者とは限らないのである。

 民の生活を守るために設けられたはずの税制は、ウィリアム家に私物化された。納めた税金は民には還元されず、ウィリアム家の私服を肥やすものになってしまった。加えて彼らは君主を世襲制とする法と君主への批判を罪とする法を定め、ミズラスカを完全に手中に収めた。代を重ねるごとに税は釣り上げられ、ますます民を苦しめていき、現当主のウィリアム・ルシウスは国民の所得のおよそ半分を税として徴収している。

 ウィリアム家は男の子が生まれれば、幼少期から帝王学を学ばせ軍の訓練に同行させ、女の子が生まれれば将来海軍の上層部に嫁がせるためにウィリアム家の中でただただ美しく可愛らしい乙女として育てられる。少年たちは生まれた時から自分はそうして民を支配し生きることが使命と教わり、少女たちは自分たちの住む屋敷の外で民がどのような暮らしをしているのか、ウィリアム家がどのような存在なのかすら知らされはしない。彼女たちが欲しがるものは全て屋敷に届けられる。ただ一つ叶わない願いは結婚するまで屋敷の外に出ることはないということだ。彼女たちは外の世界を知らない。この屋敷には民衆も近づけない。彼らの苦しむ声を聞いたこともない。この世の醜いものを目にしたことは何一つとしてない。彼女たちに敵意を向ける存在に出会ったこともない。冒頭に出てきた少女、名をレーヌと言うが、彼女もその一人である。


「…へー!なんて素敵な所なの!おばあちゃんが羨ましいわ。色々な所に行ったことがあるんだもの。」

「おばあちゃんは他所からここに嫁いだからねぇ。それまで色々な所に行っていたのよ。」

「私ね、航海術のお勉強を始めたの!いつかね、このお屋敷から出ておばあちゃんみたいに色々な所に行って私だけの冒険記を作るのよ!素敵でしょう?」

「もうレーヌったら。そんなこと言ったらまたパパとママに怒られるわよ?」

「なんであんなに怒るんだろうねー。海軍さんって船乗りさんでしょ?いいと思うのになー。」

 レーヌの祖母は苦笑いする。無知な彼女を否定するわけにもいかず、ただ頭を撫でてあげる。願いが叶ってほしいと願いながら、この家では到底叶わないという現実を恨む。しかし、もしも叶うとなると…万が一の未来を想像し、彼女は胸を痛めるのだ。ビンクスの酒を歌っていた過去。世間に名を轟かせる女海賊の航海士であったアザレアは、その美貌故に海軍G-103支部と対峙した際、仲間を逃したければウィリアム家に嫁ぐように脅された。それが先代当主とこの老婆の結婚の真相である。誇り高き海賊であった過去はなかったものにされた。孫娘に海の話をするこの時間だけが心の安らぎとなっていた。


「レーヌ、パパとママに内緒にしてくれるなら、おばあちゃんがもっと詳しい航海術と測量術を教えてあげようか。」

「ほんと!?でもどうして内緒なの?」

「秘密って素敵でしょう?」

「うふふ。おばあちゃんはお茶目ね!」

 

 そうして始まった祖母と孫の勉強会はもう5年目になる。レーヌの才能は素晴らしくめきめきとその腕をあげた。屋敷から出ることはできないため一度も船に乗ったこともなければ風を浴びたことも海に触れたこともないのに、その冷静な状況分析と製図の腕は祖母を感嘆させた。「もういつでも一人で海に出れるね。」いつしかこれが祖母の口癖になっていた。そんなある日のことである。


「ウィリアム家を許すなー!」

「この屋敷を全て焼き払え!悪のウィリアム家をぶっ潰せ!圧政反対!」

「民衆に権利を!自由を!革命だー!」


 初めて耳にする怒号と銃声で、レーヌは目を覚ます。人々の怒り狂う声、何十人、何百人の駆け回る足音。音の暴力が彼女に降りかかる。パニックに陥る彼女の足は竦み、その場から一歩も動けない。メイドもボーイも彼女になんか構いもせず、一目散に駆けていく。調度品が叩き割られる音、泣き叫ぶ母親の声、徐々に薄くなる酸素。あまりの情報量に彼女の頭はパンクしていた。


「レーヌ!レーヌ!」


 祖母の叫ぶ声が彼女の頭を起こす。おばあちゃんと呼ぼうとするも声が出ない。恐らく銃で撃たれたのであろう、血を流した足を引きずりながら、祖母はレーヌの元へと急ぐ。手に握られているのは、彼女が編んだ赤いマフラーと古い地図と鈍色に光る短刀。祖母は叫ぶ。


「レーヌ!逃げなさい!逃げるのです!この事態なら、外部から海軍が応援に来るわ!船を奪って逃げなさい!今の貴方ならできる!一人でこの海を乗りこなせる!」


 レーヌの頭は混乱したままだった。ただ痛そうに足を引きずる祖母にこれ以上無理はさせれまいと、自分も覚束ない足取りで、よろよろと駆け寄った。祖母の背中に手を添え撫でようとするが、その手を振り払われる。驚き目を見開くレーヌの肩を力強く掴み、祖母はもう一度言った。


「船を奪って逃げなさい。」

「おばあちゃんは…!?おばあちゃんはどうなるの!?」

「現実を見なさい!いいから行くの!行きなさい!」


 ウィリアム家を糾弾する民衆の声はすぐ近くまで迫っていた。祖母は最後の力を振り絞り、自分の首にかかっていたアザレアの描かれたネックレスを、レーヌの首にかける。レーヌはボロボロ涙を流し、顔はぐしゃぐしゃだった。祖母から受け取った荷物を手に、混乱の中をかいくぐり、領地の端の海へ降りる階段へとただただ走る。


「おばあちゃん…おばあちゃん…」


 何も言葉がでてこない。それ以外の言葉が出てこない。船を探した。元いた場所を見上げると、自分の暮らした家は白かったことを初めて知り、それが今はもうオレンジの炎に包まれている現実に絶望した。彼女は祖母にもらったマフラーを巻き、地図を胸元にしまい、ナイフを片手に海軍の船に乗る。ハンモックで仮眠をとっていたたった一人の海兵隊の胸元にそれを突き刺し、その感覚が残る右手を必死に強く握りしめながら、彼女は船の錨をあげた。